2015年11月1日日曜日

山口瞳さんが「江分利満氏の優雅な生活」で、ステレオを山本富士子さんに例えた文章


何かを伝えようとするとき、分かりやすく伝えるのは大事なポイントかと思います。

でもこれがなかなか、むずかしかったりするんですよね。
自分にとっての分かりやすさが、相手にも分かりやすいとは限らないし。

そういうときに、何か物差しのようなものを例に出す方法を見ることがあります。
大きさが分かるように、横にタバコの箱を置くような感じで。

山口瞳さんの小説の中で、江分利満氏がステレオにどれほど憧れていたかを山本富士子さんを使って表現した、このような文章があります。

「山本富士子さんと一緒に暮らしたいと切に希っている独身男性が何人かはきっといると思う。しかし、山本富士子さんと結婚できる可能性は零に近い。江分利にとってステレオは山本富士子さんだった。」

伝わってくるものがありますね。
当時の山本富士子さんがどれほど人気だったのかもよく分かります。

ひとの名前を出せば分かりやすくなるのかというと、そうでもないようなんです。
同じ山口瞳さんの「還暦老人ボケ日記」というエッセイには、こういう文章があります。

「頭がボーッとして岡本綾子の最終日みたいになっている。」

これはサッパリ意味が分かりません。
でも、なんかおもしろいです。

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