2016年6月20日月曜日

山口瞳さんが書いた、いい道具の大切さ


何か自分の好きなことをやっていて上達したいなと思ったりはしても、そう簡単にはいきませんね。
コツがあるのなら教えてほしいんですけど、あまりむずかしいことだと、教えてもらってもできなかったりします。

でも世の中、歴史上にはたくさんのひとがいて、コツのなかでも簡単にできるほうのコツを教えてもらえることもあります。

山口瞳さんの男性自身シリーズの「生き残り」という本があって、その中に「私の駄目な」というエッセイがあります。

タイトルのとおり、苦手なことについて書かれた文章で、そこにサインなんかも含めた書の話が出てきます。
山口さんは書は苦手だったそうですけど、

「ところが、だんだんに、色紙をもとめられても、それほど苦痛にならないようになった。」
とあります。

さらにアドバイス的に、こんな文も。

「私は、いい道具を使うことを勧めたい。いい筆と、いい墨と、いい紙を使うことだ。そうすると、どうしても丁寧に書くようになる。それはいいことだ。これはどの世界にも通ずることで、将棋を指す人は、いい将棋盤を買うと香車一本ぐらい強くなるという。」

これは、上達のコツとしてはとても分かりやすいですね。

いい道具を使うだけ。
頭とか使わずにできるコツです。

「どうしても丁寧に書くようになる」というのがいいんじゃないでしょうか。

ぜひ実践してみたいと思うんですけど、いい道具というのはお金がかかるものですね。
それをどうするかは考えなくてはいけません。

2016年6月19日日曜日

コーヒーを飲もうと思ったら水筒がカラだった日


朝起きてから飲むコーヒーを、前の晩につくって水筒に入れて用意してる時期があった。

起きたらすぐコーヒーを飲めてうれしい。
でも、前の日につくっておくのはとても面倒。

僕はグータラで何事もギリギリまでやらない、あるいはギリギリを通り越してもできるだけ何もしない男。
なのに、コーヒーを用意しておくこの習慣は5年ぐらいは続いたと思う。

その間に1度だけ、コーヒーをつくっておくのを忘れたことがあったのを覚えている。

起きたあとの楽しみな時間。
さあコーヒーを飲むぞと思って水筒を持ち上げたら、その重さが自分でイメージしていたものよりはるかに軽かった。

自分のミスに気づいて、メチャメチャ絶望。

結局その日はコーヒーを飲まなくて、1日をとおしてイマイチ調子が出なかった。

今は前の晩に用意することはなくなって、朝でも昼でも、飲みたいときにコーヒーをいれて飲んでいる。
前の習慣に戻ることは、もうないような気がする。

水筒がカラだったあの朝、なんですぐにコーヒーをいれて飲まなかったのか、今では自分でもよく分からない。

2016年6月18日土曜日

クツを10年履こうと思ったけど


4年ぐらい前に、1万2千円ぐらいのクツを買った。

まずしい生活をしている僕としてはクツにそんなお金をかけるのはとんでもないこと。
でもそのクツを10年、履き続けたら元をとれるのではないかと思った。

さほどゼイタクなことでもない気がする。

ゴアテックス素材のクツなので、雨の日でも履いている。

雨に強いクツだけど、ずっと歩いていると、だんだん染み込んでくる。
濡れたあとは洗ったり干したりとか、多少の手入れはいなくちゃいけない。

10年使うんだから。

そう思うんだけど、面倒なので、つい放置してしまう。
10年を甘く見すぎ。

環境問題とかでも、10年後には気温がかなり上がっているだろうし、南極の氷はかなりとけててるはず。
ウナギとか絶滅してるかもしれないし、バナナもあぶない。

日本は高齢化社会になって、いろいろ大変だと思う。

手入れをサボッているだけなら、状態は悪くなるかもしれないけど履いて歩くことはできる。

でも4年ぐらい履いてるうちに、カカトがすり減ってきて、穴があきそうなぐらいになってきた。
さすがに穴があいちゃったら、履くことはできても、歩くことはできなくなる。

10年を甘く見ていたうえに、僕はアスファルトも甘く見ていたのかもしれない。

2016年6月17日金曜日

ネコが気まずそうだったとき


あまりベタベタと寄り添ったり、気づかないうちに依存しあっているのは、お互いのためによくないという。
相手を思いやる心は大切だけど、大人の距離感みたいなものも必要。

日当たりの悪い、わずかな庭の草取りをしていると、ミーコちゃんが寄ってくることがよくある。

つい草取りを中断してニャンコ・マッサージに熱中しちゃうことも多い。

そうやってベタベタして、僕はミーコちゃんに依存しているんだろうか。
やさしさを押し付けているのか。

草取りをしていると、虫なんかが出てきて、ミーコちゃんに食べられちゃうこともある。

ネコが本気を出すと、けっこう速い。
この前も、草取りしてる僕のそばにミーコちゃんがいて、突然すごいスピードで走って何かに飛びかかった。

でも捕まえられなかったみたい。
逃しちゃったのか、そもそも何もいないところにカン違いで飛びかかったのかは分からない。

何もキャッチできなかったミーコちゃんは、その瞬間、クルッとこっちを向いて僕と目が合った。

べつに、失敗して恥ずかしかったとか、そういうことではないと思う。
僕も、なんとなく見なかったような感じで草をむしっていた。

こういうのが大人の距離感なのかもしれない。

2016年6月16日木曜日

ピート・ハミルの雰囲気優先の例え


分かりやすく伝えたいときに、こまかいデータのような内容を正確に伝えるというのも有効かもしれません。
逆に説明よりも、雰囲気を分かってもらったほうがいいときもあるんじゃないかと思います。

ピート・ハミル著「アメリカン・ジャーナル」(高見浩訳)に「ジョン・ガディ、ロック世代のマフィアのボス」という章があります。

ジョン・ガディというひとはニューヨークを牛耳っていたすごいひとみたいで、文章の中ではアル・カポーネを引き合いに出していたりします。

このジョン・ガディが台頭する前のマフィアの状態を説明する文章があって、こんなふうに書かれています。

「マフィアは、ちょうどリー・アイアコッカが社長に就任する前のクライスラー社のようなドン底状態にあえいでいた」

このあと多少は説明があるんですけど、そういうものは必要ないぐらいです。
アイアコッカが就任する前のクライスラー社がどんなドン底だったか知らないのに、とにかくドン底だったんだなと分かる文章。

ピート・ハミルというひとはこういう表現が好きなようで、この章だけでも

「傲慢なようでいてデリケートなリズムで動く足」とか、

「ギラつく斧のように原初的な属性を持つ…」とか、

意味より雰囲気を優先したフレーズがたくさん出てきて楽しませてくれます。

2016年6月15日水曜日

録画すればゆっくり眠れると思っていたら


テレビ番組を録画する機材をもっていない時期が、けっこう長くあった。

あまりテレビを見ていなかったんだけど、見たい海外ドラマがあると深夜の1時とかに目覚ましで起きたりしていた。
起きる気力がなくて番組を見られないことも、何度もあった。

1時に起きたときは番組は見られるけど、朝起きたあとがツラくなって、それもこまる。

ケーブルTVの機械が新しいのに交換されて、外付けのHDをつなげれば簡単に録画ができるようになった。
リモコンなんかは、録画したものを見るほうがメインのようなボタンの配置になってる。

これで録画しなかったらくやしいように思えてきて、HDを買って、つなげてみたのが2年ぐらい前。

もう1時に目覚ましをセットしなくても、寝てるあいだに録画して、あとでゆっくり見ればいい。
そう思って安心して寝ていたら、録画してるときのHDからガチャガチャと音がしてうるさくてしょうがなかった。

これは初期不良なのではと思うほど。

ネットで検索してみたら、HDから音がするのは普通のことみたいだった。

ガマンしながら使い続けて、今ではHDが2台になって、音も倍。
でも慣れてきたので、あまり気にしないで眠れている。

2016年6月14日火曜日

公園の少林寺おじさん


四季のある美しい日本なので、その季節しか見られないものなんかもある。

近くの公園にちょっとした鳥スポットがあって、冬になると長いレンズがついたカメラを三脚にセットしてるひとたちがいる。
きっと何10万円もするカメラで、お金持ちのひとなんだろうなとうらやましくなる。

鳥の中にも、くわしいことは分からないけど、冬はいるのに暖かくなるといなくなっちゃうのがいる。

冬にはこの鳥スポットで僕もカワセミらしき鳥を見たりする。
でも夏とかは、カモとかサギとか、ありきたりなやつしか見ない。

今年もすっかり暑くなってきて、冬のあいだにもっと鳥スポットに行っておけばよかったなとか思ったりす。

この前も、その公園の鳥スポットに行ってみた。
めずらしい鳥は見られなかったし、カメラで狙ってるひともいなかった。

季節は過ぎてしまったらしい。

でも、公園で少林寺か太極拳みたいなポーズをしているおじさんはいた。

このおじさんは1年中いるので、見てもうれしくはない。

2016年6月13日月曜日

ケンドー・コバヤシさんが組み合わせた意外なもの


発想の方法として、組み合わせの面白さみたいなことが言われることがあります。
ありきたりま物であっても意外な物どうしが結びつくと、新しいものに生まれ変わると。

日本テレビの「ナカイの窓」という番組で、陣内智則さんにドッキリをしかける企画をやっていました。
中居さんのサブMCのひとりで番組によく登場する陣内さんに、サブMCを卒業してもらうとダマす内容。

そこにゲストとしてケンドー・コバヤシさんが出てきました。

出てすぐに、コバヤシさんが
「陣内は今まで散々、干されてきました」
と言ったんです。

それだけなら、どうっていうこともないんですけど、さらにコバヤシさんはこう続けました。

「シイタケ、陣内、の順です」

これは、おもしろいですね。
「干される」というキーワードでふたつを並べちゃったと。

これはアドリブではなく、考えてあったセリフなんだと思います。

シイタケのほかにも干される物は色々あるので、他の物も入れたくなっちゃいそうです。
でも「シイタケ、陣内」とムダな物が入っていません。

とてもシンプル。

この場合は言葉だけで形はないですけど、意外な物を組み合わせて新しい物を生み出しちゃう発想って、こういうものなのかなと思える言葉でした。

2016年6月12日日曜日

正座で知った自分の限界


椅子の上に薄いクッションを3枚重ねにしてあって、その上に正座をするのが、ちょっと好き。

前に上佑氏が椅子の上であぐらをかいていたりしたけど、僕は宗教上の理由でやっているのではない。
初詣すら行かないし。

あぐらより正座のほうが礼儀正しいと思うけど、そういう理由でやっているのでもない。
そもそも誰も見てないから。

椅子で正座をしてるのは、腰が痛いからという情けない理由。
腰痛のひとは正座が楽というネットの記事を見て、やってみたら本当に楽だった。

でも正座をすると、足は痛くなる。

正座が好きと言っていながら、15分ぐらいで限界がきて普通の座りかたになる。
軽く足がしびれて、すぐには歩けない。

正座が好きになった初めのころ、自分の限界が分かっていなくてずっと続けていたら、足の甲のあたりがズキズキと痛くなった。

しばらく痛みがとれなくて、これは骨も限界を超えちゃったのではと思った。
折れるまで正座を続けた男として、キャッチフレーズを考えてもいいぐらいなのでは。

かっこいい言葉を考えてみたけど、何も思いつかないうちに痛みはアッサリと消えた。

たまには、痛みを超えて限界にチャレンジしてみるのもいいかもしれない。

2016年6月11日土曜日

岩谷宏さんがLinuxを旅先のご飯に例えた文章


言葉を使って何かを表現するなら、言いたいことが受け手に伝わることが大事かと思います。
どんなにキレイな言葉を使っても、相手に届かなければ意味がないですからね。

例えを使ったりするのも、分かりやすくするのが狙いでしょうし、さらに面白くなっていたら余計にいいでしょう。

岩谷宏さんの「Linuxの哲学」という本があって、今のようにスマホなどにLinuxを使ったOSが普及する前に、Linuxのよさがくわしく書かれています。

この本の中では自分でコンピュータのプログラムを書くことの楽しさについて、さらにLinuxがプログラムを作るのに便利なOSであることについても強調されています。

Linuxを使うならプログラムを作らなくちゃもったいない。
それを岩谷さんは、こんなふうに書いています。

「豊富なプログラミングツールを使わないLinux利用は、苦労して到着した旅先で、海の幸山の幸満載の豪華な定食が出たけど、その中のご飯と味噌汁と漬物だけ食べて終わるようなものだ。」

もったいないんだけど、一応ご飯だけはいただけるという。
おもしろいし、分かりやすい例えですね。

岩谷さんからの影響で、僕もLinuxを使って、すごく簡単なプログラムを作ったこともありました。

がんばった時期はあったもののプログラムの勉強はむずかしくて、今はすっかり挫折しています。

でもLinuxは今も使っています。
無料で使えるわけですからね。

OSにお金を使わずに済んでいるので、それだけでも助かっています。

2016年6月10日金曜日

会社の新人研修のいろいろ


日本テレビ「ナカイの窓」で元局アナ特集みたいなのをやっていたときにNHKのアナウンサーだった宮川俊二さんが出ていました。

アナウンサーの新人研修の話になったときに、宮川さんがNHKの新人には受信料の集金の研修があると言っていました。
そこで集金の大変さや、視聴者のひとの不満などを知って勉強すると。

NHKの新人も大変なようです。

そのNHKに「サラメシ」という番組があります。
「サラメシ」という言葉の意味はよく分からないんですけど、働くひとたちのお昼ご飯に注目した番組です。

この番組で、広島を中心に展開しているスーパーの新入社員たちのお昼ご飯を特集していました。
新人たちは研修を受けている期間だったんですけど、教育係のひとの指示でみんな自分でお弁当をつくってお昼に食べていたんです。

スーパーの仕事で、お客さんに味のことを聞かれてもうまく答えられない店員さんが多いことから、そういう指示を出したのが始まりと言っていました。

お弁当をつくらせると、丁寧につくるひとや、雑なひともいて、仕事の適正を知ることにも役立つそうです。
新人研修にもいろいろな方法があるようです。

お弁当づくりは、指示した教育係の男性が自分も手本になろうと始めてみたら妙にはまってしまったなんて言っていたのも面白かったです。

2016年6月9日木曜日

心の乱れ


そうじとか片づけとか、やろうと思うんだけどダラダラと放置してしまう。
机の上にいろいろな物が散らかってゴチャゴチャしている。

散らかっているくせに、メモの紙は置いておかなくちゃ気がすまない。

すでに何か書いてあるものもあるし、思いついたらすぐメモできるように白紙の物も置いてある。
サイズもA4だったりB5だったり、手帳のリフィルなんかも。

机には常にテレビの番組表を広げてあるんだけど、その上にA4の紙が2枚置いてあるから、それをどかさなくちゃ番組を調べられない。

外から風が入ってきたりエアコンをつけたりすると、紙が飛んじゃう。
紙のほかにも机の上には自転車に着けるライトとか電池の充電器とか小さいドライバーなどもある。
それらを重りとして使って、紙が飛ばないようにする。

飛ばない努力はしても、片づける努力はなかなかしない。

この状況を打開しなくちゃと思って「机の乱れは心の乱れ」とメモしてみた。

だからといって何も解決はしない。
ただゴミが増えただけ。

心は、さらに乱れている。

2016年6月8日水曜日

自分でクツの修理をしてみたら


つま先がはがれちゃったクツが2足あった。

ひとつはサイズがきついのをガマンして履いてきた。
これは捨てちゃってもかまわない。

もう1足はサイズもちょうどよくて気に入ってる。
できれば直して履きつづけたい。

直すとしたら、修理の店にもっていくか、自分でチャレンジしてみるか。
少し迷ったけど、200円ぐらいの接着剤を買ってきて自分で直すことにした。

最初に、捨ててもいいほうのクツで練習。
いきなり黒い接着剤が指に着いた。

前にアロンアルファで左の人差し指と親指を接着しちゃったことがあった。
あのときの恐怖を思い出したけど、今回の接着剤はちゃんと着くまでに48時間ぐらいかかると書いてある。

指に着いても汚れるだけ。

練習用のクツは接着剤をササッと着けて、ゲタ箱に突っ込んでおいた。
大事なほうのクツは丁寧に作業したあと、部屋に置いた。

接着剤が乾くまで48時間。

不安なのでときどきクツの様子を見る。
でも僕には何もできない。

ただ待つだけ。

48時間たって、練習用のクツはよく着いてたけど、大事なほうのクツはアッサリはがれちゃったのは、どうしてなのか分からない。

2016年6月7日火曜日

岡本太郎さんが芸術を爆発させた切り替えの方法


何か作業をしていて、スムーズに進んでいるときはいいですけど、なかなかずっとうまくは続かないんじゃないかと思います。

うまくいかないときに、気分転換をして同じ作業を続けるという手もありますけど、作業のほうを変えちゃうというのも、いいのかもしれません。

NHKの「知恵泉」という番組で、岡本太郎さんの特集をしていたことがありました。
万博のエピソードから、太郎さんは評価された絵の上に別の絵を描いちゃうという話なんかも出てきました。

その中でおもしろいと思ったのが、太郎さんは家で3つの場所を移動しながら創作活動をしていたということでした。

当然いちばんメインはアトリエなんですけど、そこで絵を描いていて行き詰まると、庭で彫刻を始める。
彫刻の手が進まなくなると、部屋で執筆を始めたそうなんです。

岡本さんだって芸術の仕事を長年やっていたら、つねに芸術がバクハツとはいかないかと思います。
そんな中で見つけた切り替えの方法なのかなと思うと、そういう方法を知れてうれしい気がします。

でも、せっかく描いた絵の上に別の絵を描いちゃうのは、さすがにもったいようにも思います。

2016年6月6日月曜日

影ながら江戸川を応援している


スポーツなんかで好きなチームや選手を熱心に応援するひとがいる。
人間ならみんな、誰かを応援したくなる心理みたいなものを持っているのかもしれない。

DNAに組み込まれちゃってる感じで。

応援してるひとが負けたときは、怒るひと、悲しむひと、暖かい感じで受け入れるひとなど反応がバラバラ。
このへんはDNAには組み込まれてはいないんだろうか。

江戸川の横の土手を歩くことがけっこうあるんだけど、所々、川が細くなってる部分がある。
なかには、ちょっと勢いがついたら川が止まっちゃうかもと心配になる場所も。

上葛飾橋という橋の下もひどくて、陸地がどんどん出っ張ってきて島みたいになってる。

何年か前まで、そこは普段は水にかくれていて、ときどき砂地が出てくるぐらいだった。

一度、砂地におじさんがいて、服を脱いでパンツ一丁で川に入っていったのを見たことがある。
ひょっとしたら人生にサヨナラするのかなと思ったけど、おじさんはすぐ戻って服を着ていた。

けっこう寒い時期だったので水も冷たかったと思う。

そんなおじさんとの思い出の砂地が、あっという間に木や草でいっぱいの島になっちゃった。

川が止まったら悲しいので、がんばって水が増えてくれと思う。
パンツ一丁のおじさんのためにも。

僕が応援してもムダだと思うけど、DNAに組み込まれているからしょうがない。

2016年6月5日日曜日

ひとりで将棋を指そうとしたらメールが来た日


ぜんぜん下手なんだけど、夜、テレビを見ながらひとりで将棋を指すことがある。
自分Aと自分Bの対戦。

前にアメリカでコンサート・フォー・サンディ・リリーフというのがあった。

調べてみたら、2012年の12月だったみたい。
ハリケーンの被害者を救済するためのチャリティ・コンサート。

日本でもCSで放送されるというので、僕はこれを見ながら1時間ぐらい将棋を指そうと思った。

いきなりブルース・スプリングスティーンが出てきて、さらにボンジョビも登場して一緒に「ボーン・トゥ・ラン」を唄ってるときに、ケータイにメールが来た。

知り合いのおじさんからだった。
さっさと返信して将棋をしようと思ったんだけど、なぜかメールが送れない。

そのケータイから自分のPCにメールしてみたら、それもできないから、きっと僕のケータイがおかしいのだろう。

テレビではピンクフロイドのひとが唄っていたけど、それどころではなくなってきた。
ネットで調べてみても、どうすればケータイを直せるか分からなかった。

電話をかけてみたら普通につながったので、おじさんとの用事は済んだ。
そもそも、たいした用事じゃなかったし。

問題はメールを送れない件なんだけど、いったん電源を切って、また入れたらメールを送れるようになっていた。

よく分からないけど、解決したみたい。
いったん引っ込んだボンジョビがまた出てきて唄ってるのを見ながら、僕はホッとしていた。

将棋はできなかった。

2016年6月4日土曜日

イメージするときは食べ物を買えない自分とかは考えない


願いを実現するのにイメージの力は大きいらしい。
具体的に細かくイメージするほど実現しやすいとか、そんなことをよく聞く。

やっかいなのは、潜在意識が肯定と否定を区別できない点。

「こうなったらイヤだな」とイメージしてたら、それが実現しちゃうという。
恐ろしいイメージのパワー。

僕がよく歩くコースの途中に、坂川という川がある。

この川は幅が広い部分もあるけど、一部かなり細くなってるところがある。
わりと水がキレイで、コイなんかが泳いでる。

川の幅が細い部分なら、手でコイを捕まえられるんじゃないかとも思える。

僕は今でも十分にビンボーだけど、ほんとにお金がなくなって食べ物を買えなくなったら、ここにコイを捕まえにこようとか思ったりする。。

でも、イメージしたら実現しちゃう。
お金がなくなってコイをつかまえてる自分になっちゃう。

それはダメだと思って、マグロとかに置き換えてみる。
できるだけ高級なマグロ。

松方弘樹さんに釣られちゃって何百万とかで買われちゃうようなマグロがいいけど、マグロの細かいところはよく分からない。

しょうがないから、自分なりのマグロでいいことにする。
それできっとイメージが実現して、僕は高級なマグロを食べるようになる。

ザリガニを見たときは、自分なりのロブスターをイメージする。

2016年6月3日金曜日

よけいな音が聞こえると、うっとおしい


うっとおしいものは色々とあるけど、よけいな音というのは、なかなかうっとおしいのではと思う。

近くで鳴いてるカラスとか、寝ようと思っているときにうっすらと聞こえる機械の音とか。

電子レンジで食べ物を温めているときに軽くブーブーと音がする。
これはがんばって温めてくれてるんだから、しょうがないなと納得できる音。

たまに、温めが終わってもまだブーブー言ってることもある。
これはウチの電子レンジだけなんだろうか。

勢いがついちゃってすぐに止まることができずに、一杯一杯な感じがする。

温めが終わったのにそのままほったらかしにしてると、ピッピッという音もする。
これはとり忘れを防ぐように教えてくれてる音。

終わったのにブーブー言ってるのとはちがって、狙ってついてる機能なんだけど、ちょっとうっとおしい。

勢いがとまらずにブーブー言ってるときでも、中身をとらないとピッピッと鳴って教えてくれる。

自分が一杯一杯の苦しい状態なのに、ひとのことを気にしてる。
親切な、いい奴なのかもしれない。

でもうっとおしい。

2016年6月2日木曜日

鍛冶職人・池上喜幸さんの言う、仕事より前のポイント


仕事をするために必要なものは、色々あるかと思います。

すごく大前提としては、まず、体が必要ですね。
とくに脳は大切なことまちがいなしですけど、作業によっては手とか指が重要かと思われます。

脳にしろ手にしろ、仕事をすることで訓練されていくように思っていたんですけど、もしかしたらちがうのかもと考えさせられる意見を聞きました。

NHK BSプレミアムの「TOKYOディープ」という番組で、月島の特集をしていました。

もんじゃなんかも紹介されていたなかで、ひとりの鍛冶屋さんが登場しました。
池上喜幸さんという鍛冶職人で、ノミやカンナなどをつくっているひとだそうです。

進行役だった安藤玉恵さんが池上さんの手に触れていたんですけど、「フニフニしてる」とか言っておどろいている様子。
安藤さんは、手が堅いはずと思っていたようです。

それについて池上さんは、堅い手ではデリケートな仕事はできないから、堅くならないように力を抜くことを考えながら作業していると言っていました。

さらに、

「体をつくってから初めて品物ができてくる。体がちゃんとできてないで、丁寧な、繊細な、きれいな仕事をしようたって、それは無理です」
と池上さん。

短い場面だったのでくわしいことまで分からなかったんですけど、仕事で成果を出すより、堅くならない手にすることのほうが先だと。
そういうふうにも受け取れる言葉でした。

職人さんでないとしても、何かをつくり出そうとするときの準備というか、考え方というか、とても参考になるものと思えます。

2016年6月1日水曜日

セミとキーボード


あたたかくなってきて、もう少ししたらセミが泣いてうるさくなると思うと、うっとおしい。
でも土の中に何年もいて、やっと地上に出たら1週間ぐらいしか生きられないと考えると、うるさいのもガマンしてあげようとか思う。

前にソフトバンクでケータイを買ったら、たのんでもいないのに「しゃべって歩くお父さん」みたいなものが届いた。
捨てようと思いながら、ずっと部屋に置きっぱなしになっていた。

箱も開けてなかったので何なのかも分からなかったんだけど、1年ぐらいたってから開けたら犬のオモチャだった。

開けてすぐ捨てた。
犬のオモチャなのに、運命はセミみたいだなとか思った。

トーストを焼くと、部屋にもってきて机で食べる。

下にPCのキーボードがあって、そこにトーストのカスが落ちる。
小さいカスはキーのすき間に入って取れなくなる。

カスやホコリが、かなりたまっている。
そうじしなくちゃと思うんだけど、何年もしていない。

キーをはずすのは手間だけど、きっと始めちゃえば、すぐに終わると思う。
セミの命よりよっぽど短い時間で終わるはずなのに、グズグズしてる期間がやたら長い。

セミが鳴き始める前にそうじしたいなとか思いながら、僕はキーのスキマを見つめている。