2016年6月20日月曜日

山口瞳さんが書いた、いい道具の大切さ


何か自分の好きなことをやっていて上達したいなと思ったりはしても、そう簡単にはいきませんね。
コツがあるのなら教えてほしいんですけど、あまりむずかしいことだと、教えてもらってもできなかったりします。

でも世の中、歴史上にはたくさんのひとがいて、コツのなかでも簡単にできるほうのコツを教えてもらえることもあります。

山口瞳さんの男性自身シリーズの「生き残り」という本があって、その中に「私の駄目な」というエッセイがあります。

タイトルのとおり、苦手なことについて書かれた文章で、そこにサインなんかも含めた書の話が出てきます。
山口さんは書は苦手だったそうですけど、

「ところが、だんだんに、色紙をもとめられても、それほど苦痛にならないようになった。」
とあります。

さらにアドバイス的に、こんな文も。

「私は、いい道具を使うことを勧めたい。いい筆と、いい墨と、いい紙を使うことだ。そうすると、どうしても丁寧に書くようになる。それはいいことだ。これはどの世界にも通ずることで、将棋を指す人は、いい将棋盤を買うと香車一本ぐらい強くなるという。」

これは、上達のコツとしてはとても分かりやすいですね。

いい道具を使うだけ。
頭とか使わずにできるコツです。

「どうしても丁寧に書くようになる」というのがいいんじゃないでしょうか。

ぜひ実践してみたいと思うんですけど、いい道具というのはお金がかかるものですね。
それをどうするかは考えなくてはいけません。

2016年6月19日日曜日

コーヒーを飲もうと思ったら水筒がカラだった日


朝起きてから飲むコーヒーを、前の晩につくって水筒に入れて用意してる時期があった。

起きたらすぐコーヒーを飲めてうれしい。
でも、前の日につくっておくのはとても面倒。

僕はグータラで何事もギリギリまでやらない、あるいはギリギリを通り越してもできるだけ何もしない男。
なのに、コーヒーを用意しておくこの習慣は5年ぐらいは続いたと思う。

その間に1度だけ、コーヒーをつくっておくのを忘れたことがあったのを覚えている。

起きたあとの楽しみな時間。
さあコーヒーを飲むぞと思って水筒を持ち上げたら、その重さが自分でイメージしていたものよりはるかに軽かった。

自分のミスに気づいて、メチャメチャ絶望。

結局その日はコーヒーを飲まなくて、1日をとおしてイマイチ調子が出なかった。

今は前の晩に用意することはなくなって、朝でも昼でも、飲みたいときにコーヒーをいれて飲んでいる。
前の習慣に戻ることは、もうないような気がする。

水筒がカラだったあの朝、なんですぐにコーヒーをいれて飲まなかったのか、今では自分でもよく分からない。

2016年6月18日土曜日

クツを10年履こうと思ったけど


4年ぐらい前に、1万2千円ぐらいのクツを買った。

まずしい生活をしている僕としてはクツにそんなお金をかけるのはとんでもないこと。
でもそのクツを10年、履き続けたら元をとれるのではないかと思った。

さほどゼイタクなことでもない気がする。

ゴアテックス素材のクツなので、雨の日でも履いている。

雨に強いクツだけど、ずっと歩いていると、だんだん染み込んでくる。
濡れたあとは洗ったり干したりとか、多少の手入れはいなくちゃいけない。

10年使うんだから。

そう思うんだけど、面倒なので、つい放置してしまう。
10年を甘く見すぎ。

環境問題とかでも、10年後には気温がかなり上がっているだろうし、南極の氷はかなりとけててるはず。
ウナギとか絶滅してるかもしれないし、バナナもあぶない。

日本は高齢化社会になって、いろいろ大変だと思う。

手入れをサボッているだけなら、状態は悪くなるかもしれないけど履いて歩くことはできる。

でも4年ぐらい履いてるうちに、カカトがすり減ってきて、穴があきそうなぐらいになってきた。
さすがに穴があいちゃったら、履くことはできても、歩くことはできなくなる。

10年を甘く見ていたうえに、僕はアスファルトも甘く見ていたのかもしれない。

2016年6月17日金曜日

ネコが気まずそうだったとき


あまりベタベタと寄り添ったり、気づかないうちに依存しあっているのは、お互いのためによくないという。
相手を思いやる心は大切だけど、大人の距離感みたいなものも必要。

日当たりの悪い、わずかな庭の草取りをしていると、ミーコちゃんが寄ってくることがよくある。

つい草取りを中断してニャンコ・マッサージに熱中しちゃうことも多い。

そうやってベタベタして、僕はミーコちゃんに依存しているんだろうか。
やさしさを押し付けているのか。

草取りをしていると、虫なんかが出てきて、ミーコちゃんに食べられちゃうこともある。

ネコが本気を出すと、けっこう速い。
この前も、草取りしてる僕のそばにミーコちゃんがいて、突然すごいスピードで走って何かに飛びかかった。

でも捕まえられなかったみたい。
逃しちゃったのか、そもそも何もいないところにカン違いで飛びかかったのかは分からない。

何もキャッチできなかったミーコちゃんは、その瞬間、クルッとこっちを向いて僕と目が合った。

べつに、失敗して恥ずかしかったとか、そういうことではないと思う。
僕も、なんとなく見なかったような感じで草をむしっていた。

こういうのが大人の距離感なのかもしれない。

2016年6月16日木曜日

ピート・ハミルの雰囲気優先の例え


分かりやすく伝えたいときに、こまかいデータのような内容を正確に伝えるというのも有効かもしれません。
逆に説明よりも、雰囲気を分かってもらったほうがいいときもあるんじゃないかと思います。

ピート・ハミル著「アメリカン・ジャーナル」(高見浩訳)に「ジョン・ガディ、ロック世代のマフィアのボス」という章があります。

ジョン・ガディというひとはニューヨークを牛耳っていたすごいひとみたいで、文章の中ではアル・カポーネを引き合いに出していたりします。

このジョン・ガディが台頭する前のマフィアの状態を説明する文章があって、こんなふうに書かれています。

「マフィアは、ちょうどリー・アイアコッカが社長に就任する前のクライスラー社のようなドン底状態にあえいでいた」

このあと多少は説明があるんですけど、そういうものは必要ないぐらいです。
アイアコッカが就任する前のクライスラー社がどんなドン底だったか知らないのに、とにかくドン底だったんだなと分かる文章。

ピート・ハミルというひとはこういう表現が好きなようで、この章だけでも

「傲慢なようでいてデリケートなリズムで動く足」とか、

「ギラつく斧のように原初的な属性を持つ…」とか、

意味より雰囲気を優先したフレーズがたくさん出てきて楽しませてくれます。

2016年6月15日水曜日

録画すればゆっくり眠れると思っていたら


テレビ番組を録画する機材をもっていない時期が、けっこう長くあった。

あまりテレビを見ていなかったんだけど、見たい海外ドラマがあると深夜の1時とかに目覚ましで起きたりしていた。
起きる気力がなくて番組を見られないことも、何度もあった。

1時に起きたときは番組は見られるけど、朝起きたあとがツラくなって、それもこまる。

ケーブルTVの機械が新しいのに交換されて、外付けのHDをつなげれば簡単に録画ができるようになった。
リモコンなんかは、録画したものを見るほうがメインのようなボタンの配置になってる。

これで録画しなかったらくやしいように思えてきて、HDを買って、つなげてみたのが2年ぐらい前。

もう1時に目覚ましをセットしなくても、寝てるあいだに録画して、あとでゆっくり見ればいい。
そう思って安心して寝ていたら、録画してるときのHDからガチャガチャと音がしてうるさくてしょうがなかった。

これは初期不良なのではと思うほど。

ネットで検索してみたら、HDから音がするのは普通のことみたいだった。

ガマンしながら使い続けて、今ではHDが2台になって、音も倍。
でも慣れてきたので、あまり気にしないで眠れている。

2016年6月14日火曜日

公園の少林寺おじさん


四季のある美しい日本なので、その季節しか見られないものなんかもある。

近くの公園にちょっとした鳥スポットがあって、冬になると長いレンズがついたカメラを三脚にセットしてるひとたちがいる。
きっと何10万円もするカメラで、お金持ちのひとなんだろうなとうらやましくなる。

鳥の中にも、くわしいことは分からないけど、冬はいるのに暖かくなるといなくなっちゃうのがいる。

冬にはこの鳥スポットで僕もカワセミらしき鳥を見たりする。
でも夏とかは、カモとかサギとか、ありきたりなやつしか見ない。

今年もすっかり暑くなってきて、冬のあいだにもっと鳥スポットに行っておけばよかったなとか思ったりす。

この前も、その公園の鳥スポットに行ってみた。
めずらしい鳥は見られなかったし、カメラで狙ってるひともいなかった。

季節は過ぎてしまったらしい。

でも、公園で少林寺か太極拳みたいなポーズをしているおじさんはいた。

このおじさんは1年中いるので、見てもうれしくはない。